アルベニスの《イベリア》の一節です。

オクターブ連続は難しいですね。楽譜のように間に音が入っている場合は特に難しさが増します。
手の小さな人はそのせいで弾けないと思ってそこから先に進めない人も多いでしょう。
私の手は手のひらとのバランスで言うと指の方が短いのですが、まあまあ手が開くのでなんとか10度まで届きます。ところが楽譜のような音形はやはり直ぐに弾けません。正直苦手です。
まずこのことがオクターブが弾けないのが手のサイズが問題ではないことを示唆しています。
第二に、スペイン音楽を得意としたピアニストと言えばアリシア・デ・ラローチャですが、録音を聴くと驚異的なテクニックがあるのが分かりますます。しかし彼女はオクターブがやっと届く手の大きさだった、背も小さかったという事実があります。
たった一つのこの事実によって「手が小さいとオクターブは弾けない」というのは単なる思い込みであって、無視して良いことが論証されてしまっていますね…。
だとすると手のサイズという物理的な原因ではなく、動きの問題なのだと推測できます。
こうなればあとはもう武道家が一つの動きの型を何度も稽古するように、無駄のない動きの経路を発見するしかありません。
ラローチャに弾けるなら、私にだって弾けないはずはない、そう思って取り組みます。
さて、今日問題になっているのは楽譜の2拍目の裏拍にある2つのオクターブ重音です。

写真1の和音から2の和音への移動が上手く弾けません。


まず黒鍵と白鍵の両方が出て来るオクターブの連続を弾く時の基本は、(手の小さな人は特に)、白鍵のエッジで弾かないことです。白鍵をエッジで弾くと、黒鍵に行くのに距離ができるからです。
エッジではなく、少し奥の黒鍵に近い位置で弾くと黒鍵ー白鍵ー黒鍵の移動がスムーズになります。
こうした理由で、まず写真の私の手は少し奥目で弾いています。
さてこのポジションで1から2の和音に移動すると問題が起こります。
超スロモーッションにすると何が動きを妨げているかが分かります。
1と2の和音には両方とも人差し指で弾く白鍵が入っています。でも写真のような指のポジションでは、移動の時に人差し指が間の黒鍵にぶつかって動きを妨げていることを発見します。
こんなことをしていると、頭のトレーニングで時々やっているこんなパズルと同じ脳の部位を使っているような気がして、意外と役立っているのかもと思います。
このポジションでは人差し指は黒鍵を跨いでいかないといけませんが、跨ぐには指を少し挙げないといけません。オクターブを速く弾いている時に、指を単体で動かすことは力みに繋がり、実際的ではありません。
そこで、まずこの「人差し指の黒鍵跨ぎ問題」をどうするかです。
一つの方法は音を省くことです。
手書き楽譜のアイディア1は、和音1のファを省くことで跨ぎをなくしています。ファの音は前の和音で鳴っているので省いてもほとんどわかりません。

アイディア2は、和音2の右手親指で弾くべきミ♭を左手で取ることです。そうすることで右手の親指をミ♭から解放し手前側に引くことで、人差し指を白鍵上を移動してゆくような手首の角度を取ることができます。悪くないアイディアだと思ったのですが、弾いてみるとなんかガチャガチャします。何が問題なのかまたゆっくり解析します。すると左手でミ♭を弾いてるため、次のへ音記号の低音シ♭への跳躍が遅れてしまっていたためでした。
なのでアイディア2は却下。アイディア1はとりあえず有りとしておきます。
「人差し指の黒鍵跨ぎ問題」のもう一つの解決案は、人差し指だけを曲げて黒鍵より手前に位置にするようにして弾くことです。角度によっては人差し指だけ少し爪の表面で弾く感じになるかもしれません。手首を柔らかく使うと、いつ黒鍵を跨いでいるのか目では捉えられない程、ちゃんと次の白鍵に人差し指が移動します。
このあたりは思わず、武道家の剣術の動きなどを連想してしまいます。
さて、ところが最後に不思議なことが起こります。
ここまで色々と試して来て、アイディア1か、人差し指手前側ポジションのどちらかかな、と思いつつ、なんの気無しにオリジナル通りに弾いてみました。
するとなんとオリジナルが弾けるようになっていました! しかも一番弾きやすい。
あーーやっぱりそういうオチか、やられたぁ、と思いました。
どうしてこのようなことになるのか分かりません。しかし動きを分解して探求する過程で身体が何かを学習したのは間違いありません。
人間の身体は本当に不思議です。
一箇所の検証にこれだけ作業が必要で、他の弾けない箇所もひとつひとつ検証する必要があります。何かそれを身につければ弾けるようになるような抽象的なテクニックが存在するわけではなく、ひとつひとつの場面で障害をクリアしていくしかないと私は考えています。
ラローチャだろうが、武道家だろうが、きっと皆この道を通っているのだろうな、などと想像するのは心の支えになります。
自分の身体の個性は邪魔者扱いすればする程、主張して邪魔してきます。個性を受け入れ、その生かし方を見つけてあげると、個性は透明な存在になって普遍的なものと通じ合うのに役立つ働きに変わってくれます。























