練習について

ピアノは弾きたいけれど、練習が苦手という人は少なくないと思います。ピアノをやめてしまう理由NO1は、この「練習が苦痛」問題と言っても過言ではないでしょう。私もその昔、この問題を抱えていました。

練習が苦痛になる原因は何でしょうか? ひとつ考えられるのは、「やみくも練習法」をやってしまうことです。昔の私もこれでした。自分がこう弾きたいという強い想いはあるのですが、実際に自分が鳴らしている音と頭の中のイメージがどう違って、どこを直さなければならないのか、そして直すにはどのような作業が必要なのか、といった分析作業をせず、ただ何回も繰り返し弾いてイメージに無理やりに近づけようとする。残念ながら、この練習法の成功率は大変低いばかりか、しだいに下手クソになっていく可能性が大です。なぜなら、ダメなテイクをなかったことにして、次のテイクを上書きしようとしても、次のテイクもたいがいうまくいきませんから、実際にはダメテイクを反復していることになり、この反復作業により、よりいっそうダメテイクが身体に刷り込まれていくからです。そして本人はこれを〈練習〉と思い込んでいるので頑張って続けますが、いっこうに出口が見えません。しだいにストレスを感じ始めます。それによって身体がこわばり、さらに演奏が悪化します。これでは報われませんね。もしこのような作業を〈練習〉と思っているとしたら、それが苦痛なのは当然で、人間として正常な反応です。

反対に理想的な練習ができていれば、練習には問題解決の興奮や、達成感、満足感などの快感情を伴うものです。「練習しなきゃ」ではなく「もっと練習したい!」になります。

適切なゴール設定ができていない場合も、動機付けに欠けた練習になりがちです。ゴールとは練習の段階がどこにあるかによって、指使いを決めている、譜読みをしている、通して弾けるようにしている、表現や解釈の探索をしている、暗譜をしようとしている、細部を磨いている、など目指していることが異なるはずですが、これらがあいまいだと、譜読みの段階で、細部の表現を磨くことにこだわって一部分にだけ時間をかけるなど、練習の焦点がぼやけて無駄が多くなります。

練習はタスク処理としても捉えられますが、一回に取り組むべきタスクについて、自分の技量に合った適切な量と質を選べてない場合もあります。選んでいるタスクの量が多すぎる例としては、楽曲をただ最初から最後まで通して弾くだけといったものがあるでしょう。これでは何を練習しているのかわかりません。曲も文章と同じで階層的に出来ています。単語をつなげて文に、文をつなげて文章に、文章をつなげて段落になるように、楽曲も小さなセクションに分けて、家を建てるように組み立てていきます。

選んでいるタスクの質が複雑すぎる例としては、難しい手の動きをいっぺんにやろうとしてしまうことです。鍵盤上で行う動作は単純ではなく、実際にはいくつかの動作が同時的に行われているような多層的なものがほとんどなので、楽譜に書いてある音型をいきなり弾こうとすると難しく感じることが多いでしょう。多層的な動作は、一つ一つの要素に分解して、一つができてから次のひとつを付け加える、というふうに身体の中で整理し、コーディネーションを確認しながら組み立てていく必要があります。特に演奏経験が浅いうちは、楽譜の音型をどのように分解して練習したらよいか判断がつかないという問題に直面します。適切に音型を分解するには、音型の成り立ちを理解していないと難しいので、音楽理論的な知識もある程度必要です。分解法を学べば、しだいに自分で分解したり組み立てたりが自由にできるようになり、練習自体がクリエイティブな工夫を発揮する時間になります。

その他の原因としては、その人のストレス耐性の問題や、長期的なプロセスを信頼することの難しさなども考えられます。できないことに取り組むことは、ある程度ストレスがかかることですが、最低限のストレスに耐える力がなければ途中でやる気を失ってしまうでしょう。また、何かができるようになるプロセスは、直線的でもなければ、即効性があるものでもありません。すぐに効果が出ない場合もあります。なかなかできないなあと思っていても、水面下で何かが蓄積して、ある時に突然できるようになったりするものです。できない状態が続く間は、「こんなこともできないのか!」など、自分を責めたりしがちですが、こうした自己攻撃は自律神経系に悪影響を与え、結果を遠ざけます。長期的なプロセス信頼して、自分に優しくするという能力が必要となります。このようにピアノの練習は、セルフ・コンパッション(自分への慈悲)の修行でもあるのです。

最後に過剰な練習について。私は練習が楽しくてやりすぎてしまうことがありますが、長時間練習しすぎるのも問題があると言われています。むしろ短時間の練習を休憩を挟んで行うほうが、神経や身体記憶に定着しやすいといった研究結果もあるようです。さまざまな練習法をお伝えしますので、自分に合った方法を見つけていきましょう。

リズムトレーニング -生き生きとしたリズムー

季節の変化、月の満ち欠け、潮の満ち引き、昼と夜、掴むと手放す、出会いと別れ、生まれると死ぬ、生命には呼吸のリズムがあります。私たちの身体は、これらの自然のリズムを感じる場であると同時に、私たちの身体自体もリズムを持っています。

身体の中のリズムは単層的なものではなく、心臓のリズム、呼吸のリズム、頭蓋仙骨療系の脊髄液のリズム、歩行のリズムなど、複数のリズムが重なり合って多層的なリズムを作っています。音楽でも同じです。曲の中に含まれる多層的なリズムを分析し、身体で感じ取りながら演奏すると、音楽が生き生きとしてくるでしょう。

生き生きとしたリズムの秘密は、裏拍にあります。日本人は裏拍を取るのが苦手と言われますが、これは日本語のリズムにも関係がありそうです。裏拍の取り方のコツはレッスンでお伝え出来ます。

楽器上でリズムトレーニングをするのも間違いではありませんが、初心者にとってはリズムに注意を向けながら、鍵盤の操作にも注意を向けるというのは、処理するタスクが多すぎます。

手拍子などのボディーバーカッションや、小さな打楽器などを使って、拍、拍子、リズムパターンなど、リズムの多層性を身体にしみこませてしまうほうが近道です。

効果的な指使い

豊かで自然な音楽表現は、指使いによって決まると言っても過言ではありません。何が自然な指使いかどうかは、その人の手や指のサイズや形、そして先に書いたグルーピングとも関連して決まってきます。音楽表現に照らしたときに、各指の特徴が生かされている指使いが良い指使いと言えるでしょう。そもそも無理な動きを練習によって出来るようにするという発想では、指や手を痛めることになりかねません。指の自然な動きと音楽的な効果が一致する指使いを発見しましょう。楽譜についている指使いは、特に編集者がつけている場合は、その人の考えが反映されているもので、絶対ではありません。作曲家が指定している場合は、編集者のものよりは情報として優先価値があると私自身は思っていますが、いずれにしても絶対ではなく、同じ曲の違う版を見比べて、自分にとって一番良い指使いを見つけることが大切です。

身体と音のつながりを育てる

音楽とは音によって作り出される動きの感覚のことです。音楽の中の音符は、それ自体は動いてはいませんが、音符の並びが実際の音として時の経過の中で鳴り響く時、私たちはあたかも何らかの物体が空間において動いているかのような〈動きの錯覚 〉を受け取ります。音楽はこの〈動きの錯覚〉を生み出す能力によって、聴く人の身体を動かしたり、感情を動かしたりすることができます。

 では楽譜の音符をただ鳴らせば誰でも自動的にそのような〈動きの錯覚〉を生み出せるのかと言えば、そうもいかないのが難しいところです。音を出す演奏者が楽曲に内在している運動を自分の身体運動として感じながら音を出すのでなければ、聴く人の中にその運動感覚(錯覚)を生み出すことはできません。

 演奏に必要な身体の動きには二種類あります。ひとつは今言った、楽曲構造に内在する音の運動を身体内部の動きとして写し取ったもので、これを〈内的運動〉と呼ぶことができます。これはどちらかと言えば内臓や筋肉の動き、気の流れなど、身体内部で生じる動きです。もうひとつは指や腕の動きなどの楽器で音を出すのに必要な、外からも観察可能な動作で、これを〈外的運動〉と呼ぶことができます。

 この内的運動と外的運動は必ずしも一致しないことが多く、一見矛盾するふたつの動作を本人には完全に一つの動きとして感じられるほどに、いかにコーディネートし行うか、そこに演奏という行為の複雑さがあります。 

 でも二つの矛盾する動きを同時に行うなんて可能なのでしょうか? 簡単な実験をしてみましょう。机の上に腕を乗せ、肘からから90度まげて腕を立てます。その感覚を覚えておきます。今度は腕を机の上に乗せたまま、透明な見えない腕だけが90度曲がって立ち上がるようにイメージします(幽体離脱のように!)。できますね?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

 このように必ずしも一致しない内的運動と外的運動をひとつの身体で再現しながら音を出すことは、生き生きとした運動性を湛えた音を生み出すのに必要です。そしてそのためには楽譜の音符から運動を読み取る能力や、それらを感じ取る身体知が前提となります。音楽分析の知識や体操などを組み合わせて総合的にアプローチすることで、これらのスキルが身についてゆくでしょう。

音のグルーピング

音楽の演奏でもっとも大切なことは推進力です。つまり音楽が〈前に進んでいる感じ〉が出せるかどうか。この効果が上手に出せるかどうかは、楽譜に書かれている複数の音をどのようにひとまとめとして捉えるかによって決まります。音をまとまりとして捉えることを〈グルーピング〉と言います。楽譜上の連桁(音符から出ている縦棒をつなぐ横棒のこと)によるまとまりは、演奏効果を出す上で必要なまとまりと必ずしも一致しないことの方が多く、通常は効果的なグルーピングについての指示は楽譜には書かれていません。したがって、演奏者が楽譜から読み取る必要があります。グルーピングの知識を使えば、誰でも旋律を流れるように弾けるようになります。

楽譜の音符の連結は、表拍と裏拍をつなげて書いていますが、実際の音楽での音のグルーピングは裏拍から表拍へとつながっていくのが基本的なグルーピングです。ただし、それはあくまでも基本なので、実際のグルーピングは他のさまざまな要因を細かく分析して最も理にかなった形を発見する必要があります。

このような知的な作業は、情感豊かな演奏と相いれないような印象を与えるかもしれませんが、事実はまったく逆です。表現したい想いが強ければ強い人ほど、知的に音楽の輪郭を捉えることが、その情感の表現を助けてくれます。

ピアノレッスンのスタンス

こころとからだの発達を視野に入れて個人を見るーセラピューティックなレッスン

私はニューヨークで音楽療法の修行をし、米国認定音楽療法士として日本でセラピーの提供もしています。欧米の音楽療法の世界では、セラピスト自身がセラピーを受けるなど、セルフケアが非常に重要視されています。セラピストの自己はある種の〈楽器)に例えられます。セラピーを受けに来るクライエントさんの存在を理解し、受け止めるためには、自分自身の心身を調整して相手とよく響きあう状態を作っておくことが必要だからです。

そのため、例えば私が専門としている分析的音楽療法士になるための訓練では、自分自身がセラピーを受けることが課程の中に含まれています。私の受けたこうした訓練は、心身を豊かにすることに役立っただけでなく、音楽との関係も格段に改善し、音楽家としても豊かにしてくれました。このような理由から、音楽療法は音楽家にとっても非常に役立つものである、というのが私の実感です。

したがって、私のピアノレッスンでは、従来のようにピアノの弾き方を外側から教え込むという発想ではなく、療法士になる訓練の中で得たさまざまな考え方や見方、そして具体的なトレーニング法などを変形して盛り込み、音楽家としての自己を内面から育てることに重きを置きます。

必要に応じて楽器から離れた身体ワークなどが役に立つこともあるでしょう。この〈内なる音楽家〉を引き出す作業と、その結果として現れる外的表現を磨く作業とのバランスを大切に思っています。従来の、というか今もそうですが、なぜか音楽教育は、内面の成長を置き去りにして外側をいかにそれらしく固めるかという方向に行きがちであるように私には思われます。これでは、本来は私たち自身の存在をまるごと祝福してくれるはずの音楽の力がうまく生かされているとは言えないのではないでしょうか。音楽(演奏)が、演奏をする人にとっても、それを聴く人にとっても、疎外感を与える営みにすり替わってしまいます。

私たち人間は、ひとりひとりが音楽的な存在であり、音楽とは本来、私たち自身の〈存在の歌〉であるはずです。どうぞ「わたしの音楽、わたしが音楽」とつぶやいてみてください。どんなに他の人が上手に演奏したとしても、あなた自身の音楽はあなたにしか奏でることはできません。あなたの〈内なる音楽〉は、あなたが会いに来てくれることをきっと心待ちにしています。一緒に一歩づつ、踏み出してみましょう!